音楽の話とか色々(雑記)
僕にはその音はただの「ノイズ」にしか聞こえませんでした。
そのとき僕は、ブラウン管を通して、前衛的な音楽家に取材しているドキュメンタリー番組を見ていました。飄々とした口調とは裏腹に、未来の音楽に関して熱く語るその音楽家に僕はおもわず釘づけになっていました。
その番組のナレーターによると、彼の音楽は海外で非常に高く評価されているらしく、僕もわからないなりに「ふんふん」と頷いていました。
番組の中盤には、実際に彼が行っている音楽が演奏されました。
この番組が放送されたのは僕がまだ中学生くらいのときだったので、記憶はとても曖昧です。覚えているのは観客席と舞台があることぐらいで、オーケストラがいたかどうかさえ分かりません。
そのとき僕は思いました。「これだけ著名な音楽家なのだろうからさぞかし素晴らしい音楽を奏でてくれるのだろう」と。
しかし、その期待はあっさりと裏切られることとなります。その音はとてもチグハグで、バイオリンのような音が断続的に聞こえるだけです。当時の僕にはただの「ノイズ」にしか聞こえませんでした。
このことは彼にとって織り込み済みのようでした。というのも、番組の序盤に彼はこう述べています。
「モーツアルトやヴェートーベンも当時の一般人からするとただの雑音にしか聞こえなかった。しかし、今はどうだろう。クラシック音楽として多くの人の聞かれている。僕の音楽も、皆さんにはただの雑音にしか聞こえないかもしれない。でも、僕の作った音楽が未来の多くの人に聞かれると思うとそれだけでワクワクするよね」
細かいところはあやふやですが、大枠ではこのようなことを述べていたと思います。
このような話は別段珍しいことではありません。ゴッホだって、作品の価値が認められ始めたのは彼が死んだ後です。
しかし、このような「自分の理解を超えた作品を価値がないものとみなす傾向」は未だに存在します。
某飲料メーカーのCMで、妻夫木聡さんから「今の時代どうですか」と聞かれ、サカナクションの山口一郎さんは「難しいものをつまらないって切り捨てているような気がするんですよね」と答えています。
ステマっぽいのはあしからず。
このような話は芸術の話だけではなく、あらゆるところに通ずる話だと思います。
個人用のコンピューターやスマートフォンがここまで普及するのを誰が予見したでしょうか。
思考停止して新しいものを切り捨てるのではなく、小さな「ノイズ」にも耳を傾けていくのが大事です。
そういえば最近「水曜日のカンパネラ」というアーティストの音楽を聴いています。彼女たちの音楽はとても新しくて、面白くて、魅力的です。あなたにとって、この音楽がただの「ノイズ」に聞こえないことを祈っています。
『ツイッギー』という曲で今めちゃくちゃヘビロテしてます。オススメです。